4月
日本で4月と言えば、美しい桜と共に始まりの時期。入学式に入社式、又、新しい環境で新たな挑戦をされる方も大勢いらっしゃる事でしょう。
ウィーンの場合、新学期は9月に始まり、大学で在籍する年数も個人に合わせて異なる為日本のように、今が入社時期ではありません。
ただ、5千人のウクライナの子供たちは新たにオーストリアで学校に通い始めました。
ウィーンの場合、新学期は9月に始まり、大学で在籍する年数も個人に合わせて異なる為日本のように、今が入社時期ではありません。
ただ、5千人のウクライナの子供たちは新たにオーストリアで学校に通い始めました。
4月時点で、5万人ほどのウクライナの方々が難民登録をオーストリアでされたそうです。
又教師をしていたウクライナの先生たちも、避難先のオーストリアで教職を再開することも可能です。どちらも言葉の壁がありますが、国際豊かな言語を話す生徒同士、特に同じ仲間のスラブ系言語を話す子供たちが手助けしながら学校生活を始めているようです。
日本でも、オーストリアでも、新しい事を始めた皆様にウィーンから応援しています。
ブルク劇場のコロナルール
さて、with coronaの新たな生活が始まったオーストリア。
音楽と芸術の都ウィーンでは、あの厳しかったコロナルールが嘘のように、
音楽と芸術の都ウィーンでは、あの厳しかったコロナルールが嘘のように、
劇場鑑賞用のコロナテスト証明表示も
劇場内のマスク着用の強制ルールも
無くなりました。劇場側からはマスク着用が推奨されていますが、現在では、劇場内でマスクをしている方の方がが少ないように感じます。
ただ、交通機関やスーパーなどでは以前と変わらずFFP2マスクの着用ルールが有ります。
又、劇場によっては入場の入り口はコロナ対策時期と変わらず、全員が正面からではなく、席に近い入り口からと座席によって別になっておりますので、チケットのアルファベット表示をご確認下さい。
ウィーンと言えは最初に思い浮かぶのはオペラ。そして華やかなバレーに、ミュージカルと続きますが、実は劇場も多数あり、中でもドイツ語圏で最も格式のある劇場の一つに
ブルク劇場があります。
ハプスブルク家の時代には、王宮のあるミヒャエラ広場にありましたが、旧市街の周りの塀を取り壊し、リンク通りに豪華な建造物が建て始められた十九世紀後半に現在の場所に建てられました。以前と異なり、オペラはウィーン国立オペラ座で、コンサートは楽友協会で行える為こちらでは建物正面の多くの像に見られるように伝統的な演劇を現在ではモダンな演出で鑑賞する事ができます。
ブルク劇場は、暗くなるとウクライナの国旗の色でライトアップされていますよ。
ブルク劇場の階段の間とグスタフ・クリムト
格式あるブルク劇場が注目される別の理由の一つが、世界で最も高い画家たちの1人でもあるグスタフ・クリムトが若い時代に弟や同僚と一緒に階段の天井に装飾画を描き、現在でもご覧頂けることです。ウィーン美術史美術館の階段の間の装飾画も有名ですから興味のある方はぜひどちらも訪れて下さいね。
シェイクスピアとエリザベート皇后
ブルク劇場では、あの有名なイギリスの劇作家 ウイリアム・シェイクスピア(1564-−1616)の作品も鑑賞出来ます。
ハブスブルク家に嫁いだ世界で最も美しいと言われたエリザベート皇后もシェイクスピアの作品を趣味のスポーツ、美容、旅行の合間に多数愛読していたのは有名な話ですね。それは、お気に入りの宮殿に、シェイクスピアの登場人物の装飾が登場する事からもおわかり頂けるでしょう。
シェイクスピアの作品<テンペスト> とベートーヴェン
4月のブルク劇場では、シェイクスピアの作品 <テンペスト>
日本名で<嵐>,ドイツ語では、<Der Sturm >がありました。
簡単なあらすじは、王となった弟のナポリ王達に裏切られた兄が、魔法を使って妖精と共に、嵐を起こし、船に乗っていた一行を遭難させ復習を企てるという流れになっています。
シェイクスピアの後期作品は<ロマンス劇>と呼ばれ、家族の裏切りという不幸から再会、和解といった幸福へと展開していき、ファンタジーな要素も取り入れられています。セリフの中には沢山の名言が含まれている事でも有名な作品の一つです。
<テンペスト>と言うと、音楽好きの方にはベートーヴェンの作品も思い浮かんだ事でしょう。
ウィーンに35年ほど住んだベートーヴェンの住んだ家の一つ<ハイリゲンシュタットの遺書の家>と言われている場所で作曲されたピアノソナタ17番です。
この曲の解釈について訊ねた弟子に、ベートーヴェンが、
シェイクスピアの<テンペスト>を読みたまえ。>と、答えたと言う言い伝えがあることから、
ピアノソナタ17番は別名<テンペスト>と、呼ばれています。
皆様は、天才音楽家が耳が聞こえにくくなり、悲劇に打ちのめされ弟達に遺書の様な手紙を書き、どんな気持ちで当時作曲したのか想像出来ますか?
想像がつかない方はまずは<テンペスト>をご覧になるかお読み下さいね。