ひとつ前の同僚の記事に、シューベルトの「魔王」が登場したので、しりとりゲームで、私はここから始めましょう。
シューベルト Franz Schubertは今のウィーン9区の生れで育ちなので、思い出のものがある程度まとまってある、そこを回るお散歩にしましょう。先ずは歌曲の「魔王」からですね。
ここが「魔王」を作曲したときに住んでいたところ(お父さんの家)です。その後、自動車修理工の作業場所になったので、通称シューベルト・ガレージと呼ばれ、アーチ状の入口にそう書かれています。
シューベルト一家は元々この近くに住んでいて、フランツくんが4歳の時にここに引っ越してきました。お父さんはここで学校の先生もしていました。子供たちが先生のところに集まってくるような小学校です。
入口上のプレートには、フランツ・シューベルトはここに長く住んで、ここでお父さんの補助教員もし、たくさんの不滅の作品、中でも「魔王」を作曲したと書いてあります。
では、生まれたところはと言うと、少しだけ東に行って、道の反対側です。
シューベルトの生家です。ひとつ前の建物と同じで、2階建てで古い建物ですね。ここでフランツ・シューベルトは1797年1月31日に生まれました。今はウィーン市の博物館になっていて、見学ができます。この周辺がフランツくんとシューベルト一家の日常の生活の場所と言うわけです。
次は、少し東の、通称「シューベルト教会」です。
地元の子フランツ・シューベルトが洗礼を受けた、リヒテンタールLichtentaler教会です。2枚目の写真は中に入り、前方に進み、振り返って後方上部のシューベルト・オルガンと呼ばれるパイプオルガンを見ているところ(写真の中央の下の方にオルガン)。元のオルガンは18世紀の中ごろのもので、シューベルトも弾きました。この基礎に合わせて、今のものは1984年製です。
シューベルトでは五重奏曲「ます」も思い出しますが、この近くにはアルザー小川という川が東に流れて、今のドナウ運河に流れて込んでいました。後から川は氾濫しないように地下を流させられ、地上では道の名前に残りました。このアルザー小川通りでシューベルトの生家や先ほどの教会にも近い所に、「シューベルトの泉」があります。
写真は寒いころで、噴水も出てなくて、ちょっと寂しいですね。設置は1928年です。そのうしろは侯爵リヒテンシュタイン家の夏の宮殿のお庭の角です。2021年のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの映像用のバレエシーンは、ここで撮影(前年の夏)されました。この辺りはリヒテンシュタイン家にとてもゆかりがあります。
今回の4か所は、9区の中でも割と狭いところに固まっています。9区は旧市街(1区)の北隣の区です。生家は知名度も高く、いらっしゃる方も多いですが、お時間があればお散歩ができます。 (井上 元子)