ウィーン大学の(新しい方の)古いキャンパス(?)、と日本

2020/10/05

ウィーン大学 雑記 散歩

仲間が「愚者(狂人)の塔」について書いたので、それが建っているウィーン大学のキャンパスについて書きましょう。旧市街の北北西すぐ外にあり、下はその敷地見取り図です。


見取り図の下の部分①は一番大きな中庭で、奥に普通に広い中庭があと9つあり、「愚者(狂人)の塔」は一番奥(見取り図では一番上)の小さな灰色のバームクーヘンの様な建物です。どの中庭も解放されていて、子供から大人まで、市民の緑の憩いの場になっています。日本の感覚で、広いゆったりした大学構内を想像した時、ウィーンではここが一番イメージ通りだと思います。

でも、ここは元々は総合病院として建てられたんです。「愚者(狂人)の塔」は精神病棟でした。愚者と訳しますが、その人が愚かなのでなく、病気と医学的にとらえた時代です。この大きな総合病院は、女帝マリア・テレジアの長男、たくさん新しい政治をした皇帝ヨーゼフ2世が1784年に建てました。こういったことから仲間も書いたように、ウィーンの医学はその後どんどん発展します。さて、このヨーゼフ2世の銅像は、一番大きな中庭①から、一つ奥の中庭②に入ったところに立っています。


でも、新しい時代に新しい医学で、新しい巨大な鉄筋の総合病院がすぐ北側に建てられて、病院機能はそちらに移りました。映画の「第三の男」に登場する病院のシーンは、まだ古い方の建物だと聞きましたが。さて、新しい総合病院は地元でAKH(Allgemeines Krankenhaus)、古い方は「古い総合病院」Altes AKHと呼ばれていましたが、1990年代からにだんだんと、ウィーン大学の諸機関が「古い総合病院」に移ってきて、名前もキャンパスCampusと呼ばれ始めました。
さぁ、ここまで長い話を進めてきたのは、やっと日本人も関係あるからです。前述のヨーゼフ2世の銅像の後ろには、あれ、何やら懐かしい漢字の書いてある記念碑があります。

丸い石には、それぞれ奥から「楽」、「夢」、「空」と書かれています。敷石は流れを表しているのでしょうか。

全体はこんな感じで、松が植えられています。後ろに回ると、縦に日本語で「1999月ウィーン大学日本研究所設立60周年の記念として」と書かれています。つまり今年は81周年。そして、この記念碑の後ろのあたりに、今の日本語学科も移ってきたわけです。私はずいぶん前に一度だけお邪魔したことがあります。
日本とオーストリアは、一昨年、国交150周年を祝いましたが、各分野で長いお付き合いです。

また、この新と旧の総合病院のあるウィーン9区は、ウィーン大学の本館が近いだけではなく、他に医学部、化学関係の施設もこちらなので、医学の専門書の本屋さんや、いくつものクリニック、ラボと、よく見ると医療関係が集中している住宅地です。長く住んでいると、お世話になることもあります(、ありがたい)。

観光のお客様にも、「キャンパス」はちょっとしたお散歩にいいし、レストランもあり、冬にはクリスマス市も開きます。意外なお勧めの場所です。

                                                                                                                (井上 元子)