観光局オススメ<小さな歴史的なオーストリアの16の街>
皆様は、Braunau am Inn (ブラウナウ・アム・イン)と言う街をご存知でしょうか?
観光局によく置いてある小冊子にも載っている<小さな歴史的な16の街>のうちの一つです。
ウィーンからの行き方は、
まずは電車でオーストリア第3の都市リンツへ1時間ほど乗り、
そこから電車を乗り継ぎさらに2時間ほど西の方向へ乗ると到着する1万7千人ほどの美しい街です。
電車時間は長くても、緑豊かな自然がだんだんと現れ、遠くに見える修道院や古城、近くの畑をじっくり見ていると、野うさぎや鹿が走り回り、牛や羊などの家畜がのんびり餌を食べている姿や大きな農家の家屋の美しい風景の写真を何枚も撮りたくなりますよ。
又、4月から5月にかけては美しい黄色の菜の花畑の車窓が楽しめます。一度見逃しても、何度も出てきますから安心を。菜の花は、食用油、トラクターの燃料、飼料として使用されますね。
そうそう、皆様の街のスーパーでも、植物油の品切れが起きていますか?ウィーンでは、
ひまわり油生産国であるウクライナとロシアの影響で、一時はびっくりした市民の爆買いで棚が空になってしまいましたが、菜種油やとうもろこしの油は少しずつ戻りつつありますし、棚の半分の場所を占めているオリーブオイルはたっぷりあります。
なんだか気分は<世界の車窓から>ヨーロッパ編の主人公です。

駅を降りて街へ向かうと、ライラックのいい香りが漂ってきます。この時期は
ウィーンの街中でも路面電車に乗っているとライラックの香りがドアが開けるたびにどこからか入り込んできますが、現在も交通機関の中ではマスク着用義務(FFP2マスク)がありますので気付きにくいかもしれませんね。
オーストリアの包囲を忘れない!馬のシンボルマーク
ブラウナウに到着し、街に向かうと、色とりどりの歴史ある古い家屋が見えてきます。緑色の家屋の屋根の頂上に、馬のシンボルか見えますか?実は戦争で、オーストリア軍に包囲され、街の住民は食料がほとんどなくなってしまいました。最後の馬の肉をみんなで分けあって飢えをしのぎ耐え抜いたという言い伝えが街にはあり、これを忘れないように今でも屋根の上に馬のシンボルマークが残されている、と言うわけです。
え?オーストリア同士で戦争?
と、思った方、いえいえ違うんです。実はこの街、ナポレオン戦争時代に幾度もフランス軍に包囲され、一時は再びバイエルンの管理下となりましたが、オーストリア領になって240年ほど。その昔は現在のドイツ、バイエルンの統治下でした。
国境を超えて橋を渡ってドイツへ行こう
島国の私達日本人にとって、国境を越えるのはなんだかワクワクします。ブラウナウは、昔はドイツだったわけですから、現在のドイツも橋のすぐ向こう側。街のメイン通りから橋をイン川を眺めながら渡るとバイエルン州のドイツの街Simbach am Inn (ジムバッハ・アム・イン)に到着です。イン川は、スイス、オーストリア、ドイツを流れ全長517kmです。日本一長い信濃川(367km)より長いですよ。
訪れた方はぜひ渡ってみましょう。
ブラウナウとヒトラーの生家
歴史的な美しい建築物が多いこの街の名前が、世界的に有名になったのは他にも理由があります。この街で、ドイツの独裁者となった政治家のヒトラーが生まれからです。長いこの街の歴史の中でヒットラーがこの街に住んだのはたったの3年。この生誕の家を壊す案も戦後何度と出ていますが、700年以上ある歴史ある街の建造物をヒットラーがたった3年住んだというだけで、壊すべきなのか、現在も議論が続けられています。
現在は、生誕地の前にリンツ近郊の第二次世界大戦当時使用されたマウトハウゼンの強制収容所の花崗岩を使用した記念碑があります。5000万人以上の犠牲者を出した第二次世界大戦を引き起こした責任を忘れぬ様、自由、平和そして民主主義のための言葉が刻まれています。