スティーブン・キング作<リーシーの物語>(Lisey´s Story)
ロックダウンでお家時間が多くなった頃、Apple TVで久しぶりにスティーブン・キングの作品を見つけました。
<リーシーの物語>(原題Lisey´s Story)です。
ネタバレのないようざっくり話すと、夫を亡くした妻のその後の物語です。ただ、そこはホラー小説の巨匠、一筋縄ではいかず、夫の家系は不思議な能力を持ち、子供の頃から別の世界へ行くことができたと。優しかった兄が悪魔にとりつかれたように豹変したシーンが出てきますが、ここで一度考えさせられます。
この別の世界というのは人間が病を患い、見ている幻想なのか、
人によって見えている世界が異なるのか、
本当に別の世界へ行く能力があるのか、
という事です。頭が混乱してきます。
実際この作品はスティーブン・キング作者本人が、20年ほど前肺炎にかかり生死をさまよった経験をもとに書かれた作品です。
ヨーロッパでは人間が豹変すると、悪魔にとりつかれたと思われ、たいてい神父や牧師がお祓いをします。日本なら、昔は狐にばかされたとか、アニメ好きな方なら鬼に取り憑かれた、でしょうか?
余談ですが、人気のアニメ<鬼滅の刃>は、12月のはじめにオーストリアのNetflixに登場し、すぐにトップ2位になりましたよ。
下の写真はウィーン美術史美術館にあるルーベンスの大作の一部です。グレーのトーンで悪魔に取り憑かれた人間達が表現されています。もちろん、キリストを信仰する力が悪魔お追い出し救済されると。
ところが、患者が封印していた、抑えていた過去の出来事を話し、理解し、再び意識することで治療に導き、宗教と切り離した現代の方法を19世紀後半に広めたのがあの有名な心理学者ジグムント・フロイト(Sigmund Freud)です。この精神分析学を広めたフロイトは、ウィーンの精神科医です。
心理学者ジグムント・フロイト(1856−1939)
ナポレオン戦争時代に、ハプスブルク家が統治したオーストリア帝国(1804−1867)内の現在のチェコに生まれたフロイトは、幼少期に家族とウィーンへ移住します。
ウィーン大学で医学を勉強し、医者になり、ヒットラー率いるナチスドイツからオーストリアが侵攻された1938年までの約80年間をウィーンで過ごしました。ユダヤ人であったため、フロイトを慕う多くの友人知人、弟子たちの願いで迫害を避けるためその後ロンドンへ亡命します。下の本の表紙写真は、よく見かける顎ひげに、鋭い眼差しでこちらを見つめるフロイトです。
2020年新ジグムント・フロイト美術館(時間10−18時 1/1は12−18時)
9区にある最も有名な通りが、フロイトの元診察所で美術館のあるベルク通り19番地でしょう。フロイトが47年間住み、診察を行い多くの著書を執筆した場所が美術館となっており、2020年に改装が終わり再オープンしました。
行き方
歩きたくない方は、オペラ座右横のブリストルホテル前から路面電車D(Nussdorf行き)にのりましょう。リング通りを時計回りに走る電車で、ウィーン大学から二つ目のSchlickgasseで降り、左に曲がって徒歩1分。
地下鉄のあるウィーン大学付近からでも徒歩10分ほどです。
診療所の扉は、左右どちらからでも好きな方を選べます。自分でブザーを押して入るとまるで患者になったかの様。
さて、話を<リーシーの物語>に戻しますと、夫を亡くし、悲しみから前を向き始めた妻のリーシーは、二人の姉妹との仲を取り戻します。馴染みのレストランへ行こうと笑いながら歓談し、作家であった夫の作品を大学へ預けることにします。つまりリーシーは、夫の隣という小さなグループを失っても、外へ目を向けると、姉妹というグループにも仲間意識を見出し、共に助け合うことで、自分の居場所を再確認します。くつろげる馴染みのレストラン、そして大学のために貢献することで、新しいつながり、自分の居場所を広げたわけです。
これは、フロイト同様有名な心理学者アルフレッド・アドラーの<共同体感覚>ですね。
人は他者と関わらず一人でいるとストレスフリーで楽に生きていける感じがしますが、現実は一人では生きることは難しく、他者と関わり合いながら生活し、目標を達成しています。
そんなわたしたちは、家族、友人、職場、部活動、趣味仲間、国家、人類、地球など
大小様々なグループ、共同体の中にいます。
コロナパンデミックで、家族のもとに私のように帰れない方(ああ、もう2年日本に帰国できていません。)
ちょっと居心地の悪いな、と思う共同体にいる方、
外を見渡すと、私達は、別の共同体にも居場所があることに気づけます。地球人、いやいや、前澤友作氏に言わせれば、宇宙の一員ですね。大切なのは、外に踏み出す勇気と、自分への執着から他者への関心と思う優しさでしょうか?
ウィーンの心理学者アルフレッド・アドラーAlfred Adler(1870−1937)
アドラーは、シェーンブルン宮殿に近いマリア・ヒルファー通りに生まれたユダヤ系ウィーン人です。
ウィーン大学で医学を勉強し、フロイトの研究会にも参加しますが、考え方の違いから別の道へと進んでいきます。オーストリアナチス党員にドルフース首相が1934年暗殺され、よく訪れていたアメリカへ移住します。
18世紀から医学の中心であったウィーンには、多くの心理学者が生活した足跡も残されています。
忙しい仕事をこなしながら、カフェで意見を交換し、休暇や楽しみも忘れず過ごした居心地良さがウィーンらしさです。そうだ、ここにも、私は共同体がありましたね。
それでは、
来年も皆様にとって良い年となりますようウィーンより心から願っております。